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喧騒と熱気渦巻くスーク。4000年の歴史も味もナイルの賜物

エジプシャンの朝食は豆料理、ニンニクの香りに条件反射する私

 カイロからナイル河沿いに南下し、紅海に寄ってまたカイロに戻ったエジプトの旅は、摂氏50度を体験したり、砂漠で蜃気楼を見たり、紅海の珊瑚礁で虹色の魚に触れたりと、印象深いことが多かった。もちろん、おいしい食べ物との出逢いも多かった。

 エジプト人の朝食は、フール・ミダンミスかターメイヤだ。ソラ豆を壺形の鍋で一晩煮込み、オリーブ油とレモン汁をかけて食べるのがフール・ミダンミスで、子供が鍋を持って買いに来たりしている。

ターメイヤの写真

 ニンニクやパセリを入れたソラ豆のコロッケ、ターメイヤは私の大好物になった。揚げたてのカリカリをピクルスや野菜と一緒にアイシにはさみ、ゴマのペーストのタヒーナをかけて食べると、もう最高においしい。ニンニクの香りとターメイヤを揚げる音がしたら、お腹が空いてなくてもつい客の列に並んでしまう。私なら1個で満腹になって15円也。

カイロのジューススタンドの写真

 食後は、ジューススタンドでビタミンを補給する。マンゴーやグァバはミキサーで、ザクロやサトウキビはプレスして作る。フレッシュジュースが一杯10~30円である。カルカデ(ハイビスカスの花茶)や、タマル・ヒンディという甘いお茶のスタンドもある。

炭火焼カバーブの写真

 "庶民の味追求者"の私たちは、エジプトでも屋台ばかりで食べていたのかと思われそうだが、そうでもない。ちゃんと高級料理のマシュイ・ハンマム(鳩の炭焼き)も食べてみたが、店が悪かったのか、肉が貧相な上に黒焦げで味気なかった。

 エジプトでは豆をよく食べるが、マカロニの人気もかなり高い。ウィンドウにマカロニの大山が築いてあるのが、コシャリ屋だ。茹でたマカロニと豆、米、揚げタマネギにトウガラシソースと酢をかけて食べる。山盛りのコシャリを食べるエジプト人の速さといったら、日本の立ち喰いそば屋並みである。

 コシャリに限らず、エジプトでは食事をゆっくり楽しむ光景に、あまりぶつからなかった。イスラム教国だから、女性を含む家族連れが外食することがないからだろう。トルコのレストランでも、女性客は少なかった。

 エジプトの喫茶店マクハーは、アホワ(コーヒー)やシャーイ(紅茶)を飲みながら談笑する、男だけの溜まり場である。ルクソールという街で、私たちがマクハーに入ったときの反応が面白かった。店の人は普通に対応してくれるが、オジサン客は凄い形相で私を睨み付けるのだ。いつまでも睨んでいる。

 私はさらに面白がって水煙草を注文し、長いパイプをスパスパ喫い始めたら、皆一様に顔を見合わせ、ケッという表情をして睨むのを止めた。このケッの意味はどうであれ、イスラムの女性は大変だと思ったものだ。

モハセン氏宅のもてなしは、小さなキッチンからの大御馳走

 Yさんの運転手であるモハセン氏は、のっそりとしているが笑うといい顔になる、38歳のエジプシャンだ。ある日、彼が自宅でのランチに招待してくれた。

 アラビア語のみの彼の家で会話が成り立つか危ぶまれたが、エジプトの家庭料理を食べるまたとないチャンスである。Yさんによると、彼の収入は中流クラスだという。

 フランス統治時代の名残りであるパテスリーでケーキを手土産に求め、ピラミッドで知られたギザ地区にある彼の家へ向かった。

 小路に面した建物の二階で、狭いが小ざっぱりと片附けられ、テレビも冷蔵庫もある。妻のアスマさんは30歳で、長女ニビン10歳を頭に4人の子供がいる。児童数が多いので学校は二部制で、長女が昼に帰宅すると、長男が入れ替わりに出かけて行く。日乾レンガのような茶色のスモックが制服だ。

 しばらくすると、彼の末の弟のアシュラム君がやって来た。スーダン航行に勤めるアシュラム君の通訳で、どうにか会話ができそうだ。小さな座卓を出すと、アスマさんが次から次へと料理を運んで来る。

 食卓に載りきらないほどの御馳走である。刻むとトロロのように粘りがでる葉野菜、モロヘイヤのスープはエジプトの名物料理のひとつで、ニンニクがきいていておいしい。
「モロヘイヤは小兎のスープが最高なんだ。今日はチキンだけどね」

アスマさんの料理写真

 アスマさんに尋ねて、アシュラム君が教えてくれる。他の料理はオクラとズッキーニのトマト煮、揚げバミセリ入りのライス、ナツメッグをすり込んだフライドチキン、サラダ、タヒーナ(ニンニク入りのゴマペースト)、ライムとトウガラシのピクルスが並び、食後には冷たいザクロが出された。やっぱり、家庭料理はやさしい味でおいしい。

 女性と子供は来客の席に着かず、食前食後にニビンちゃんが水差しの水で手を洗ってくれる、エジプト式のもてなしであった。

 帰りしなにキッチンを覗くと、二畳もないほど小さく、料理とは創造なのだと感心し、またアスマさんに感謝した。

イスラエルにちょっと寄り道、安息日の静寂は旅人に自炊を促す

 モハセン氏に見送られ、午前5時カイロ発のバスでイスラエルに向かった。スエズを過ぎてシナイ半島に入ると、あとはもう砂漠の一本道をひた走るのみ。バスを乗り換えて、イスラエルに入ると風景が一変した。

 緑したたる広大な畑が続く。エジプト側では荒涼とした砂漠だった大地が、高度な灌漑技術で豊かな農地となっているのだ。巨大なトラクターが白煙を上げ、無数のスプリンクラーから水がほとばしる。先祖の地に帰還したユダヤ人の熱情が、ここに象徴されている。

 1948年に建国したイスラエルは、今も緊張下にあるが、銃を担いだ男女兵士の姿を除けば、街の表情は驚くほど平和に見える。首都エルサレムはキリスト教、ユダヤ教、イスラム教の聖地で、街全体がある種の清浄な空気に包まれている感じがする。

嘆きの壁の写真

 ユダヤ教の安息日は金曜の夕方から土曜までで、商店もレストランも、公共の交通機関さえ止まってしまい、街は静まり返る。アラブ人の多い旧市街の商店は、金曜日が休み。私たちは金曜の午前中に食料品を買い込み、夕食と土曜の朝・昼食をホテルのキッチンで自炊した。たまにする料理は実に楽しい。

イスラエルの魚料理の写真

 この国の物価は高くて、特にレストランの料金は東京よりも少し安い程度で、エジプトと比べたらそれこそ10倍は違う。でもスーパーに行ってみると、食料品のうちパンや乳製品などの基本的なものはかなり安い。やはり、日本のコメの高さは異常だと思う。

 さて安息日を過ぎたと思ったら、今度はユダヤ教の"仮庵の祭り(スッコート)"になり、また1日全面的に休み。この週は庭やベランダに棕櫚などで葺いた仮庵(かりお)が造られ、先祖の流浪をしのんでここで食事をするのだそうだ。

 こんなわけでイスラエル滞在10日間のうち、半分近くは自炊したので、この地の料理を味わう機会が少なかった。それに、移民の出身地が百カ国以上になるというお国柄だから、行き交う人々の風貌が多彩なように、料理も国際的なのだ。中近東と東欧の料理を主流に、北欧、イタリア、モロッコ、アメリカ、インドと万国旗のように各国料理店がある。

ファラフェルの写真

 いわゆる日本料理のような意味でのイスラエル料理は、まだ生まれていない。けれども、ユダヤ教にはカシュルートという適正食品規定があって、動物の肉と乳製品を一緒に食べてはいけないなど細かに決まっている。だからこの国のピザの具は野菜ばかりだし、ハムチーズサンドは存在しない。

 要するに、多彩なイスラエルの料理を統一しているのがカシュルートなのだ、ということしかわからなかった。

(文・写真 野澤幸代)     

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