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コバルトの海に浮かぶ島々の国。多彩な文化と味を探して渡り歩く

ダニ族の男たちの写真

飛行機を乗り継ぎ、最東の島イリアン・ジャヤへ

 この国に来て初めて知ったのだが、ニューギニア島の西半分はインドネシアなのである。1963年にオランダ領からインドネシア領に変わり、現在はイリアン・ジャヤと呼ばれている最東の州だ。

 このイリアン・ジャヤの山岳地内に、今も石器時代の暮らしを営む人々がいる。彼らが発見されたのは1930年代のことで、現代文明と交渉を持ち始めてからまだ半世紀。

 彼らにどうしても会いたいと思った。私は料理の本の編集をしていたので、イモを主食とする人たちに関心があった。しかし、イリアン・ジャヤは遠い。ジャカルタから直行のジェット機でも6時間かかり、船だと 1週間はかかる。さんざん迷ったあげく、私たちにとっては大散財なのだが行くことを決心した。

 直行便は高いので1回乗り継ぎをし、10時間かけてイリアン・ジャヤの州都ジャヤプラに着いた。同じ国とは思えないほど、人の姿形が違う。それもそのはず、ニューギニア島なのだから、当然地元民はパプア人である。でも、ジャワ島やスラウェシ島からの入植者もかなりいる。

 高地に住む人々はいくつかの部族に分かれていて、私たちは比較的容易に行けるワメナ周辺に住むダニ族に会うのだ。ヒマラヤトレッキングのときと同じように、役所で入域許可証を申請し、雨具などの装備を整えた。

カツオ漁の写真

イカン・バカールの写真

 ワメナに発つ前に栄養補給をしようと、イカン・バカール(魚介の炭火焼き)屋にでかけてみた。鯛らしき赤魚と名前不明の魚、エビを選ぶと焼いてくれ、ソース、スープ、ご飯がセットで出てきた。このソースは甘醤油ケチャップ・マニスがベースなのだが、けっこう辛くて極めつけに旨かった。

石器時代と現代が交錯するダニ族の里、バリウム谷

 いよいよダニ族に会えるかと思うと、胸が高鳴る。朝のフライトで1時間弱、ジャヤプラからワメナへ双発機で飛ぶ。眼下には深い緑の密林が苔のように地表を覆い、泥色の川がのったりと奔放にうねっている。

イリアン・ジャヤの密林の写真

 密林のなかで何かがキラキラと輝くかと思うと、それが雷みたいに走って広がる。梢に隠れた細い川が陽の光を反射して走るのだ。

 これだけ密度の高い熱帯降雨林を空から見るのは、初めてだ。息苦しいくらいに生命がひしめきあっている感じがする。森林が激減して行く今、この緑は地球の宝物だ。

 緑をこそげ取った赤茶けた土地が見えてきた。標高1100mのワメナの飛行場だ。

 山岳地帯は酒類の持ち込みが禁じられているため、荷物チェックを受けて外に出た。

 いやー、とうとう来てしまったのだ。ダニ族の住むバリウム谷に! うーん、嬉しい。

 市場の前の宿に荷をおろしてあたりを眺めると、奇妙な情景のなかに自分がいることに気づいた。通称コルトと呼ばれる(三菱のコルトのため)ミニバスから、裸の男や女が降りてくる。いや、正確にいうと正装のダニ族だ。

ワメナの市場の写真

 男はヒョウタンで作ったコテカというペニスケースをつけ、女は腰みのかスカートだけの姿である。ここには、石器時代と現在が混在しているのである。

 市場に入って買いものぶりを観察すると、インドネシアの貨幣ルピアと、ダニ族の貨幣である小さな宝貝の 両方が通用し、物々交換もできるようだ。痛々しいほどに小さなトマトや赤玉ねぎ、唐辛子、そしてダニ族の主食であるサツマイモやタロイモなどが売り台や路上に並べてある。市場の外郭は他島からの入植者たちの商店で、船と飛行機で運ばれた生活必需品が高い値で売られている。

 私たちが7人めの日本人だと歓迎してくれた宿の主人に、谷歩きをしたいと話すと、ペーターを紹介してくれた。彼は西イリアン出身のパプア人で、英語教師である。ペーターをガイドに雇うことにし、彼の指示通りにダニ族へのお土産用に塩と煙草を買い入れた。

 朝7時にペーターが迎えに来て、最初の村プギマまで歩く。行き違うダニ族に男なら、"ナラック"、女なら"ラオック"と挨拶すると返ってくる。この言葉はおはようからさようなら、ありがとうにまで使える便利なもので、私たちのダニ語はこれ一辺倒。

 オンボという網袋にイモなどを入れ、肩から斜めにかけたり、額にかけたりして、ワメナの市場に商売や遊びに行く人とすれ違う。

 カナダの宣教師が建てたプギマの教会で小休止した後が悲惨だった。まかしとけと胸を張っていたペーターが、道に迷い始めたのだ。

 行く道、行く道、沼地に入って進めず、脚は泥まみれ、道は滑るは、ツルツルの一本丸太橋を渡るはでもうヘトヘトだ。やっとのことに民家を見つけて道を教わり、とっぷりと陽が暮れてからようやく宿屋に着いた。

生涯忘られぬ一夜が開けて、ダニ族の祭りに特別参加(?)する

 ペーターを詰問すると、実はこのルートは初めてだと告白した。翌日、「今日の道は絶対にOKだ」と言う。当り前だ。外国人でもわかる舗装道路の一本道なのだ。照り返しが暑く、コルトが私たちを追い抜いていく。歩くことが虚しくなり、遂にコルトに乗ってしまった。

 この先は道路も宿屋もなく、草原の細道をまたも迷いながら歩く、歩く。嘘つきペーターの友人がいるウォギまで何も食べずに歩き通し、私たちは教会の学校の先生宅に泊まることになった。その友人とやらがどこかに出かけていて、家に入れないからである。

 この夜は、生涯忘れられない一夜になった。2人とも全身百数十ヵ所をノミにやられ、一睡もできなかったのだ。私たちがモゾモゾすると隣で寝ている赤ん坊がむずかり、そのたびにお母さんがお乳を含ませるので、身動きがとれない。疲労の極致で、ノミの跳躍に身をまかせた苦悶の一夜であった。

 近くの川で獲ったザリガニのカレーとイモを朝食にご馳走になり、ペーターの言う金額をお礼に先生に差し出すと、先生はワメナの宿より高い金額を提示するではないか。あー、昨夜のあの遠慮と我慢は一体何だったのか。

 ペーターの友人である宣教師のマークによると、2時間先のシナップ・ネム村で今日祭りがあり、ダニ族の正式な石蒸し料理が行われるらしい。是が非でも今晩はワメナで寝ると激怒する夫をなだめ、先に進んだ。

 マークの案内でその村へ行くと、60人ほどの男が集まり、5村共同の集会所の新築祝いをしている。村長にお土産とお祝い金を包み、私たちの見学を許可してもらった。

 集会所の一角は垣根で仕切られ、本来は女が入れない聖なる場所のため、私の入場は歓迎されなかったものの黙認してくれた。

ダニ族の石蒸し料理の写真

 昨日20頭の豚を屠り、囲炉裏でいぶした肉を石蒸しにするのだ。まず直径3mほどの穴にイモ科のツル草を敷き、焼き石をのせて水をかけ、草とイモ、焼き石を重ねて覆い、ツル草でキッチリ縛る。さらに肉、草、焼き石を重ねてまた縛り、1番上に焼き石をのせて後は待つだけだ。

 男たちが協力してこれらの作業をするのに2時間かかった。これは料理というよりも、祭事だ。小さじ1/3の塩を云々というレシピの世界とはほど遠い、力仕事である。

新方式の写真

 得もいわれず感動してしまった私である。一方夫は、ワメナに帰る時間を気にして気もそぞろ。焼き上がるのは1時間半以上先らしいので、後ろ髪をひかれながらも村を出た。

 あの肉の味はどんなものなのかと、今もよく考える。もし、再びイリアン・ジャヤに行けたら、あのイカン・バカールとあの肉を絶対にたらふく食べるのだ、と心に誓った。

(写真・文 野澤幸代)      

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