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やおら食文化探求の熱にうかされて、東の島から西へと飛んで走って、転ぶ

東南アジアのフルーツの写真

バリで最新日本事情を学び、子豚の頬に舌鼓を打つ

 ひと足先に行っていた夫が、バリ島のデンパサール空港に迎えに来ていた。彼はもう真っ黒に日に焼けていて、久しぶりの日本食を食べまくっていたらしい。

 バリは日本人の若者ご用達のリゾートだ。ペアルックの新婚カップル、潮焼けした髪のサーファー山田詠美もどきのやけにセクシーな娘たちが、ビーチや通りを闊歩している。

 日本事情に疎くなった私たちは、バリで今の日本を充分に知ることができる。ボディコンは未だ生存しているようだし、OLがお金持ちなのだから日本経済は安泰なのだろうし。

 バリはインドネシアで唯一のヒンドゥー教徒の島なので、イスラム教徒の多い他島ではご法度の豚肉がある。バリ名物の仔豚の丸焼きバビ・グリンを食べに行った。

バビ・グリンの写真

 町の市場(パサール)の一画に、バビ・グリンの店があった。これは神に捧げる祭事食でもあり、特別なご馳走なので、ふつうのレストランではなく専門店で商うもののようだ。

 おいしそうにこんがりと焼けた仔豚が、金だらいの上にドーンと横倒しになっている。注文の仕方がわからないけれども、お尻と頬っぺたの皮が食べたい(理由は特にない)と拙い会話と身振りで伝えると、
「ダメ、ダメ。もうお尻は売れちゃったから、オバチャンのお尻じゃどうだい?」
と笑いながら、いろいろなものをご飯の上に山盛りにした一皿をくれた。

 後から来た客は黙って座って同じものが出されたから、これがいわゆる定食なのだろう。知らないとはいえ、私たちは各地で無謀な要求をしているらしい。でも、話さないと楽しくないし、受身でいるばかりでは新しい発見は訪れないのだ、と思ってやってしまう。

 山盛りの内容物は、北京ダックのようにカリカリに焼けた皮(頬っぺたをくれた!)と、ジューシーで鶏肉みたいに柔らかい肉。腸や胃、レバー、心臓を揚げたものである。要するに仔豚のすべてを、無駄なく食べてしまう料理なのである。皮と肉はすごくおいしかったけれど、焼きたてだったら最高なのにね、と何でも出来たてを求めてしまいがちの日本人の常識は、ここでは無理無体に属する。

ナシ・ラメスの写真

 ちなみに、東南アジアの料理は一般的に作り置きのきくものがほとんどで、食べる際に温めることをしない。バリ人に尋ねたら、朝作った料理を、家族が各人、食べたいときにそのまま食べるのが当たり前だと言っていた。

 家庭の平和は家族の揃った食卓から、などというコピーは万国共通ではないのだ。

遂にアクシデント発生。ベールの女医さんにすがりつく

 ジャワ島の京都とたとえられる、古都ジョクジャカルタで旅の一大事が起った。

 レンタルバイクでボロブドゥールに行った帰り、大型バスの二重の追い越しに対面して、避けきれずに砂利の路肩に滑り倒れてしまったのだ。夫も、夫の後に乗っていた私も半ズボンの軽装が禍して、左半身に派手にケガをした。町から離れたバイパスだったので人気がなく、仕様がないから傷口を押さえつつ、バイクを起こしてゲストハウスへ帰った。

 そこから病院へタクシーで直行。日頃、私の嫌味に耳をかさない夫も、膝の骨が白く見えたと私が言うと、さすがに青ざめた。

 四苦八苦して診療申し込み書を書くと、すぐ急患室に通された。わりと近代的な病院なので安心していると、ベールを被った若い女医さんが現れ、英語で
「私、英語がわかりません」
と言うではないか。それからはもう、なされるがまま。夫はストレッチャーで別の処置室へ連れて行かれ、不安で倍増した痛みをこらえて何とか縫合はすんだ。

 夫は左膝下3針とくるぶし1針。私は左膝頭4針。ともに擦過傷多数。まぁ、同程度のケガで恨みっこなしでよかった(と、そのときは思えた)と言っていたら、医者や看護婦の姿が見えない。急患室では酸素吸入マスクをしたおじいさんが、1人で横たわっている。

 投薬や会計の窓口も閉まっている。心配顔で待っていたタクシーの運転手に尋ねると、
「アッラー、タイム」
夕方のお祈り時間なのだ。

 しばらくするとさっきの女医さんが出てきて2日置きの通院と1週間後の抜糸の予定を告げた。この街にあと1週間クギづけだ。

ジャワのベチャに足許を見られ、プアサ明けの日に仔豚の呪い

 部屋のドアを開けるとプールがあるゲストハウスにいるのに、傷口は水濡れ厳禁だし、歩くこともままならないので、影絵や舞踏などの伝統芸能の鑑賞に精を出した。

 しかし、劇場まで行くベチャ(人力三輪車)を拾うのがたいへんだ。私たちのケガはこの通りを本拠地とするベチャに知れ渡っているから、私よりも歩ける夫が先に出てベチャの値段交渉をしても、文字どおりに足許をみられてふっかけられる。

 いつもなら、その値段なら大通りで流しのべチャを拾うからいらないョ、と振り切って歩き出すとべチャが折れてくるのだが、悲しいかな、ノロノロ一歩ずつ歩き始めても誰も追いかけて来ない。こっちが折れて、通常の2割増しほどで乗せてもらうことになる。

 同じ4針同士だったはずなのに、膝を曲げられない私は部屋にこもり、早くも夫は街歩きを再開し、夫の買ってくるお弁当を楽しみにする日が続いた。

サテ屋の写真

 牛肉や山羊肉のサテ(串焼き)、ナシ・ラメスというおかずの盛り合わせご飯を、バナナの葉で包んだお弁当を、プールサイドで本を読みつつ食べ、病院と劇場通いの1週間。

 やっと抜糸の日がきたが、まだ傷口がついていないのであと3日待てと言われた。でも、ビザの期限があるので、ジャカルタの病院へ紹介状を書いてもらい、ベールの女医さんにお礼を言って別れた。

 1ヵ月半ぶりのジャカルタは、相変わらず蒸し暑く、蚊が多く、喧騒に満ちていた。ケガを口実に中級クラスのホテルに落ち着き、テレビをつけるとラマダン明けの帰省ラッシュを報道している。ラマダンとはイスラム教徒が行う断食月のことで、この1ヵ月間(イスラム暦のため毎年期間がずれる)は日の出から日の入りまで飲食をしない。

 インドネシアではラマダンのことをプアサと呼ぶが、このプアサ明けの日は家族一同打ち揃って盛大に祝う。地方によって違うようだが、糯米を葉に包んで蒸したり、ココナッツミルクで煮たりした、特別のプアサ明けの料理を食べるそうだ。

 病院に行く道に、クッキーや缶詰を詰めた籐籠を売る店がぎっしり並んでいた。病気見舞用かと思ったが、これはプアサ明けの進物だった。日本の盆暮れと同じに、お世話になった人や親戚に贈り、これまた同様にタライ回しにすることもあるそうだ。

 プアサ明けの日にシンガポールに発つべく、その前日に医者をせかして抜糸したのがいけなかった。

 シンガポールに着いて包帯を交替してみると、縫ったはずの私の傷口がパックリ開いているではないか。あせって英国王室なんとかというプライベートクリニックに行ったら、もう縫えないし、傷口が醜くなるから、日本でお尻の皮膚を移植してきれいにするといいと、クイーンズイングリッシュで告げられた。

 バリの仔豚の丸焼きが脳裏に浮かんだ。

 仔豚の呪いのはずはない。だって、お尻の皮は食べていないのに!

(取材協力/スンダン・ブッディ・ツアー&トラベル アンボン)

(写真・文 野澤幸代)     

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