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旅の入口は市場の雑踏にあり、終幕は河面を渡る風が告げた

華人の島シンガポール、多民族社会マレーシア

 5月初旬のシンガポールには、お洒落な日本の女のコがたくさん来ていて、そうか、ゴールデン・ウィークなのかと思い出した。彼女たちは観光やショッピングにいそしみ、異国を堪能する。かたや、ダニ族の谷から帰還した私たちは、文明の、日本の匂いを嗅いだ。

 と書くといかにも大仰だが、つまり、ビルの谷間をうろつき、日本食に溺れ、日本語の活字にひたって和むのである。日本書籍はバンコクも充実しているが、日本食の水準はシンガポールが東南アジア随一ではないかと思う。もちろん値段の高さも一番だけど。

 本格的な一級の西洋料理もあるし、それにヤオハンでドネル・ケバブに遭遇したときには、思わず目頭が熱くなった。トルコで毎日のように食べた、串焼き肉のそぎ切りサンドウィッチに、ここで、東南アジアのまん中の淡路島大の国で出逢えるとは。シンガポーリアンは素晴らしく英語がうまいし、ホント、国際都市なのね。

 膝の傷も癒えて心も和んだので、ジョホール水道にかかる1kmの橋を渡ってマレーシアに入った。国境越えのバス代は邦貨100円也。

瓦保鶏飯の写真

 極彩色の塑像に埋め尽くされた塔門のヒンドゥー寺院脇の屋台で、サロン姿のマレー人に混じって、瓦保[保の下に火]鶏飯(ワァバオジィファン)を食べる。マレー人5割、華人3割、インド人1割弱の複合民族国家マレーシアを象徴する情景だ。

 瓦保(ワァバオ)という土鍋で米を炊き、下味つけた鶏肉をのせて蒸らすこの中国式鶏釜飯は、少し甘めだがサンバル(唐辛子ソース)を加えるととてもおいしい。おこげをカリカリとこそげていると、子どもの頃に家族で浅草へ行っては釜めしを食べたことを想い出し、郷愁にかられる。亜熱帯アジアの暑気に包まれ、熱々の釜めしを頬張るのもオツなものだ。

 ジョホール・バルからマレー半島西海岸を北上する道は、ゴムとアブラ椰子のプランテーション・ロードだ。

 ゴムの樹は樹皮を斜めに削り、樹液を溜める容器がぶら下げてある。枝を天に伸ばして立つ無数のゴムの樹が、赤や黄のプラスチック製マグをさげ、狂いなく列を整えて並ぶ様子は敬虔な祈りを連想させる。

 樹液の収集は早朝にするので、人気のない静寂が真昼を支配している。虎は4日も5日もあたりを窺ってから樹液収集労働者を襲う、とゴム園の旦那(トワン)から聞かされた話を金子光晴が書いていた。今も、静まりかえるゴムの樹影に虎が潜んでいるのだろうか。

暑気と熱気の華人街で、怪しい誘惑に好奇心が燃える

 首都クアラルンプールは、経済を握る華人の街だ。安ホテルでは華人経営の旅店が割と清潔なので、チャイナ・タウンに宿をとった。

 夕方になると料理店や屋台が通りにせり出し、干し肉を焙る甘い匂いや果物の香気が横溢し、売り声や注文の声、食べる音、話す声が渦巻く。猥雑な喧騒が心地よい。

火鍋の写真

 テーブルにはめ込んである煮えたぎる鍋で、肉やイカ、野菜、すりみだんごの串刺しをゆでるスチーム・ボートを食べる。たれは中国醤油、酢、唐辛子ソースなどを好きに混ぜてつける。これも瓦保鶏飯と同じに、暑気と熱気が戦う爽快な料理だ。

 マレー人のカップルが、兄が東京に行くのでぜひとも話を聞かせてほしいといって隣に来た。情報の乏しい国でもないのに、と思いながらも、我が家でランチを一緒にという申し出につられて、翌日の約束をした。

 さて、出迎えの車で山の手の家へ行き、兄達と食事をしつつ世間話をしていると、ヤッパリネという話を遂に切り出して来た。

 兄はカジノのディーラーで、組んでイカサマ賭博をしないかというのだ。ちょっと練習すれば覚えられるし、賭金は兄が出し、儲けは折半、1晩で100万円くれるのだそうだ。

 裏のない話でないわけはないが、好奇心がムクムクと頭をもたげ、とりあえず練習をしてみて出来るかを決めようと相成った。

 ゲームはブラック・ジャック。手口はディーラーが相手方のカードを左手指のサインで教え、カードは配る前にこっそり見せてくれるというもの。サインは指の形で1から10の数を表わし、目線での合図もある。手口自体はずいぶんと簡単なのだが、心理的抑制が完璧にできないと実行は難しいだろう。

 ウムウム、ナルホドネと好奇心が満足したので、断って帰ろうとすると敵は執拗にくいさがる(当たり前か)。険悪な雰囲気のなかをやっと帰って来たが、少し残念な気もする。

 あぁ、もしやっていたら、新調のドレスでカジノに乗り込み、勝ちまくって注目を集め、アラブの大富豪に見染められて第4夫人となり、世界中を豪遊して暮らす人生……などと妄想してその後1ヵ月ほど楽しめた。

 旅仲間の噂によると、日本人学生が軟禁状態でイカサマの特訓を受け、大負けして親から送金してもらったとか、賭金を貸したら相手が逃げたとか、ときおりあることらしい。オイシイ話には裏があるのだ。

南国の色彩がさざめき唱い、市場(パサール)は母のように優しい

 マレー人、華人、インド人がいるから、当然料理も三様ある。大ざっぱに書いてしまうと、マレー料理はインドネシア料理とごく近く、スパイスやハーブを多用し、華人は出身地中国南部の料理を、インド人も南インドタミル・ナドゥ州の料理を受け継いでいる。

ナシ・チャンプルの写真

 マレー料理はご飯によく合っておいしいのだが、正直いってインドネシア滞在2ヵ月の直後なので、毛色の違う味を求めてしまい、勢い中国かインドの料理を食べてしまった。

 食文化探求の徒となった期間は、あえなくも短かったのである。それでも、コタ・バルの市場(パサール)には胸が打ち震えた。

 コタ・バルは東海岸最北の街で、バスで1時間半北上するともうタイである。ここの市場は3階建ての新しい集合市場で、吹き抜けの1階中央が生鮮野菜、周りが肉と魚、2階が乾物と食堂、3階が生活雑貨の小店だ。

 ひと渡り歩いて店をひやかすと、果物やお菓子を少しずつ味見にくれたので、それを食べながら吹き抜けから顔を出した。

コタ・バルの市場の写真

 南国の色彩があでやかに明るく、眼下に氾濫している。その豊饒さに圧倒された。

 深紅の唐辛子やトマト、みずみずしい青菜と豆、艶やかな紫のナスやサツマイモ、香り立つ黄色のバナナ、色たちがさざめき唱う、点描派の絵画のようだ。

 どうしようもなく嬉しくなって歓声をあげると、さっき毛むくじゃらの果物ランブータンをくれたオバチャンが顔を上げ、手を振る。市場はいつも優しく、母のようにさまざまなことを私に教えてくれる。

 トルコでもエジプトでも、ネパールでもインドでも、旅した国のほんとうの入口は国境や博物館ではなく、私にとっては人々のごった返す市場だった。

(写真・文 野澤幸代)      

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