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旅の入口は市場の雑踏にあり、終幕は河面を渡る風が告げた

国境の町メーサイの写真

香り高く、甘く、辛く、酸っぱい、バンコクとタイ式ラーメン

 13ヵ月旅したが、もっとも滞在の長かったのはタイである。5回も出たり入ったりして、3ヵ月以上いたことになる。

 首都バンコクはチャオプラヤー河の右岸と左岸にわたる運河(クロン)の街であったが、年々、運河を埋めて道路に変えつつも、慢性的な交通ラッシュにあえいでいる。

 余所者にとってバンコクは、好き嫌いがハッキリ分かれる街だ。排気ガスが濃く澱み、2サイクル・エンジンの凄まじい騒音で、大通りでは怒鳴らないと会話もできない。夜の歓楽街は酒と売春が引きも切らず充満している。長居をすると消耗、疲弊させられる街だという見解と、街の精気が麻薬のように身になじむという意見におおよそ分かれる。

 私たちはどちらにも共感するのだが、やっぱりバンコク及びタイを愛してしまった部類だろう。プール付きコンドミニアムの広い1LDKを、家賃5万円で借りて住んでみた。大卒で日系デパートに勤務するタイ人の友人の月給が4万円だから、高級マンションだ。

 この部屋のそばの運河には、河面に張り出して密集家屋が連なり、肩がつかえそうな狭くて迷路のような小路を歩くと、板壁ごしに町工場のミシンや木槌の音が聞こえてくる。

 迷いに迷ってやっと河上の通路に出ると、低い屋根の向こうに、白い高層ビルがそびえ立っている。バンコクの顔は一様ではない。

 私たちがタイ狂いになった大きな理由は、食べ物のおいしさ。果物はどれをとっても東南アジア中で一番美味である。料理はとびきり辛い小粒唐辛子や、クセのある香りのコリアンダー(香菜)をよく使うので、苦手な日本人も多いが、そこにすっかり魅せられた。

 生のスパイスとハーブをたっぷりと使って、香味、甘味、辛味、酸味をないまぜしたのがタイ料理である。代表的料理としてよく紹介されるトムヤムクン(辛酸っぱいエビスープ)などその最たる例である。

タイ式ラーメン屋の写真

 おいしいものは数限りなくあるが、屋台派の代表格はタイ式ラーメンだ。麺はふつうの中華麺、小麦粉の幅広麺、米粉のきしめんと細打ちのある4種があり、汁ありと汁なしの2種の食べ方があるので、バリエーションとしては8通り。米の麺は潮州あたりがルーツと考えているが、もともとタイ族は中国南部から下って来た人たちなので、中国料理、特に南部の料理との共通点は多い。

センレク・ナームの写真

 私の定番はセンレク・ナム(汁ありきしめん)で、夫はバーミ・ヘン(汁なし中華麺)。これに卓上にある魚醤、唐辛子入り魚醤、唐辛子入り酢、挽き唐辛子、グラニュー糖、砕きピーナッツを思う存分かけて食べるのである。タイ人は大胆に甘辛酸をふりかけ、まっ赤にする。うーん、こう書いているだけで狂おしく食べたくなってくる。

 タイを離れるとこの禁断症状に悩まされるが、そこここで似て非なる麺を探し出して舌をなだめ、タイに舞い戻るのを繰り返した。

旅の終りの酔狂な筏下り。マイペンライの心は風の音。

 ミャンマー(ビルマ)国境際の町タートンから、原始的な竹の筏で河下りをした。河沿いの少数民族の村や温泉に寄りながら、2泊3日ゆるゆると流れまかせに下るのである。

 2人の船頭が食事も作り、客はスウェーデン、オーストラリア、日本混成隊5名。大きく蛇行しながらのんびり流され、行き交うモーター船の観光客の被写体にされたりと、かなり酔狂な遊びである。筏の持ち主は船頭は英語OKといっていたが、案の定嘘で、片ことの私たちのタイ語でしのぐはめになった。

 まず軍の検問所を過ぎてアカ族の村に寄ると、期待していた民族衣装の村人はほんの数人で、他の人は皆Tシャツ姿。温泉は地獄の沼のようで、熱くて入れない。ラフー族の村に泊まったが、村人は完全にふつうの洋服姿で、船頭とも言葉が通じない。

 船頭の作る食事はチャーハンだったり、辛いスープとご飯だったりと結構いけるのだが、スウェーデン女性は早くも一食めから挫折してビスケット齧り始めた。ご飯の国じゃない人にとってはやはりつらいのかもね。それにひきかえ、船頭は青唐辛子1本で山盛りのご飯を平らげるのだ。さすがタイ人。

象使いの村の写真

 2日目に河沿いの急斜面を登る象を発見した。オォ、スゴイ! ワンダフル!と客たちは大興奮したが、その先が象使いの村なのであった。元来は木材の運搬に使役されていた象なのだが、ここでは観光客を乗せて村1周600円。

 以前にも北タイで少数民族の村へ行ったが、民族衣装の村人にとり囲まれ、見学料と撮影料を激しく要求されてロクロク見学もできなかった。そして今回はTシャツばかり。やはりもっと真摯な姿勢で、ガイドを伴い奥地へと自分の足で分け入らないと、彼らの伝統的生活に触れることはできないと、しみじみ悟った。

 陽が暮れかかっているのに、なぜか船頭は竿をせわしなく動かし、どんどん下る。町の灯が近くに見える橋のたもとでやっと止めて、今晩はここで泊まるというのだ。

 まさか、まさか、あの灯が予定では翌日の午後に着くはずの町ではないよね、と尋ねると、穏やかな微笑みを浮かべて頷く。

 詐欺だ、陰謀だ、最初からの企みだ、1日分の金を返せ、と激怒するスウェーデン人は断固として全員でここに泊まり、翌日の午後まで筏にいるべきであると主張する。

 怒るのはわかるけれど、蚊の大群とともに橋の下で寝るつもりはないと、仏教的諦観をもつ我々日本人は告げた。しぶしぶ彼も諦めて筏を出すと、ものの5分で町だった。
「マイペンライ」
このタイ語はどういたしまして、大丈夫です、気にしないなどの意味があり、よく使われる言葉だ。タイ人とつき合うと、この言葉にはケ・セラ・セラに近いニュアンスがあるような気がする。

 風が吹いてきたらあらがわずに翼を広げると、もっと遠くへ翔べるかもしれない。

 旅が終わる寂しさにマイペンライと呟くと、遠くかすかに風の音が聴こえた。

(写真・文 野澤幸代)      

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